特別寄稿
第2期ウルトラの星に祈りを込めて
第2期評価の歴史と展望─

文:ビッキーHONMA

*このサイトではめずらしい他のライターさんからの寄稿です。ビッキーHONMAさんは、このサイトの橋本洋二インタビューや阿井文瓶のお手紙などを提供したくださいました。脚本家とプロデューサーを中心に自力で取材し、何冊が同人誌をだしていらっしゃいます。
今回の文章は、どうやら某同人誌(○面特○隊)用にかかれたもののようですが、ボツになったようで(泣)うちに投稿されました。第2期ウルトラシリーズの作品的、評価的な変遷をつづったものです(管理者ヤフールより)。


 今号(管理者註:○面特○隊らしい)は待望のタロウ大特集だそうなので、私も動くこととする。「吉川進・全記録」もだして、気持ちの整理もできた。
そろそろ、真打ちである私が語りださねばなるまい。時間もかなりたったし、意見も出揃ったと思うが、とどめの一発として、私がカトクタイなるものの重鎮であり、影の元締めかつ、副隊長ということなので、書かざるを得ないでしょう。
 いろいろ出揃ってなにから手をつけていいかわからないが、とにかく第2期のお話である。若い読者諸君には解かりずらいものもあるので、ゆっくりと第2期ウルトラとは何かを説明しようと思う。そして、今後どうなれば、ウルトラシリーズはよい方向に向かっていくかを説明しよう。

 そもそも第2期論争の原点は昭和43年、「怪奇大作戦」終了後の円谷プロにまで遡る。
亡き、円谷英二さんはこれはこれは技術の神様で、妥協を許さない方であり、赤字は当たり前の制作体制だった。それで、円谷の経営は悪化、倒産寸前ということになってしまうのだ。

 責任は金城と、経営を悪化させた円谷一にも及ぶ。その時、一は盟友である金城を裏切ったのである。友人を裏切るくらい、混沌とした、経営が当時の円谷プロだったわけであり、金城は失意し、沖縄に帰る。時に昭和44年であった。そこで誰もが、ウルトラシリーズは終わったと思ったが、終わらせたくない人物がいた。TBSの橋本洋二と円谷一である。そのうちの橋本洋二は、自分にも厳しく、人にも厳しい典型的な上司のタイプである。こういう人間だから誰からも恐れられているし、一つの壁として機能する人物である。しかし、それだからこそ、ウルトラシリーズは復活できたのも事実である。

 橋本の力がなければ、ウルトラシリーズはおろか、実写ヒーローものと言うジャンルすら今日までなかったかもしれない。

しかし、作られた「帰ってきたウルトラマン」はしかし、「ウルトラQ,」、「マン」、「セブン」とは違ったつくりとなってしまう。シリーズがよりハイブロウになっていて児童の範疇を超えてしまったのだ。当然、初期ファンも、子供たちも少々戸惑いをみせていくことになる。ちょうど、戦隊シリーズが「バトルフィーバーJ」(S54)でゴールデンタイムから夕方に時間帯が移されて、ちょっと格下になった感覚といえばいいだろうか。今はバトルの方が初期2作よりもできがいいことを承知しているが、見ずらい時間にされたのは事実だ。

「帰ってきた」、は一貫してシリアスな人間ドラマ重視の製作方針がとられたが、序盤は数字が安定せず、登場人物や主要スタッフは、番組が進むにつれて変更された。隊長の交代もその一つだし、坂田アキ、健の死による降板、メインライター上原正三の追放、メイン助監督、東條昭平の追放がそれにあたる。

しかし、一定の質と人気を保ち、仮面ライダーと並んで、変身ブームを巻き起こした。そこでキーポイントをになう、坂田アキ役の榊原るみについて語らせていただくが、彼女のスケジュールをおさえ、ごまかし、ごまかし、出し続けて、最終回まで生かす手もあっただろうに。また、彼女も「気になる嫁さん」の出演を断る手もあったろうに。彼女中心にドラマが進んでいる訳ではなく、ロボットアニメ「太陽の牙ダグラム」(S57)デイシーのように蚊帳の外扱いだったので、橋本洋二は、それをせずに殺した。現場が、時代がそうさせたのであろう。他局の看板番組に逃げた、裏切り者として、真船禎は自分の演出回に出演させなかった。また、当時から売れっ子だった榊原るみをキャスティングしたのは、橋本でも上原でも満田でもなく円谷一、田口成光であることも付記しておく。あえて、売れっ子に頼り、話題性を持たせなければシリーズがもたなかったのである。

 また、後年の榊原るみの発言で防衛隊員のひとりとして活躍したかったといっているが、自分が民間人ヒロインであることが魅力の登場人物だとわかっていないのである。
自分の役の重要性を解かっていないのは当人だけというのは悲しい限りである。いずれにせよ、(ビッキーHONMAさんにとっての)最重要人物を殺した後の、骨のおられた後の放送回の方が、夏枯れの時期でないためもあり、低年齢層向けになっているためもあり、高視聴率で驀進していくことになる。

 裏番組の紀比呂子主演の「コートにかける青春」(S46)がもし、この時期とぶつからなければ、「コートにかける青春」のほうが高視聴率をとっていたと「コートにかける青春」ファンクラブ会長である筆者は断言しよう。

 「帰ってきた」のいくつかのゴタゴタはそのまま「エース」にまで持ち越されていく。企画の詰め込みすぎ、ヒロイン役者のクランクイン直前の交代など、「エース」は更に、波乱に満ちたスタートを遂げていく。更に、メインライター市川森一の逃亡。長坂秀佳の台頭。といくつかのゴタゴタが重なり、ワンクール直前にウルトラ兄弟を死刑にしたり、2クールで全滅させたりと先のみえない展開がつづく。

せめて、3クールまで夕子が月に帰らなければ、違った評価があったのではないか。脚本家、阿井文瓶が「エース」より助監督として参加しているが、仕出しの弁当が、3人分くらいあまり、捨てられた現場と述懐している。「エース」を象徴した発言である。

「エース」は、ウルトラの父と兄弟の設定を作ったという功績はあるもの、当初番組的な魅力として用意された要素のいくつかが空回りをしており、局側の評価は芳しいものではなかったようだ。しかし、そのウルトラの父が好評で、次作も作られることになる。そしてシリーズ中興の祖であるウルトラマンタロウの誕生という事になる。

「ウルトラマンタロウ」はウルトラシリーズの最高傑作と誉れ高い傑作である。「帰ってきた」のハイブロウさ、「エース」のウルトラ兄弟、家族、を踏まえたうえで、レギュラーを降板させない主義、路線変更しない主義で1年間走りきった。白鳥姉弟のさわやかさ、は、坂田姉弟へのアンチテーゼだし、ウルトラ5兄弟、父、母もまんべんななく、登場し、更に、月にいる姉貴分として、前作で消えた南夕子まで再登場させているハズレのなさ、佐々木守が書いた、33、34話以外の全ての回が私にとっては、全くハズレがない。

第2期を総括するというより、前5作の全ての総決算がタロウなのである。メインライターの田口も阿井文瓶も、石堂淑朗のサポートもあってか、途中で、逃亡することなく、次作までそのまま流れこむのである。これはとても重要なことである。メインライターが下ろされたり、逃亡するということは、作家にとって最も恥ずべき事項である。それは女優にとっても、同じであり、主演番組を放棄した女優に未来などは本当は無いはずなのである。タロウも唯一女優だけが交代しているが、役者交代であり役柄のイメージはむしろ統一していた。それも前期を支えた田口期はあさか氏、後期を支えた阿井期は小野恵子氏とイメージとメインライターの好みがシンクロしているのも心憎い。

 ちなみに「ウルトラマンレオ」でも田口と阿井は好対照にヒロインを描いている。田口は山口百子を可憐な乙女として、阿井文瓶は批判者として、描き、「円盤生物シリーズ」では逆に田口は美山いずみを批判者として、阿井文瓶は愛するトオルの姉として描いている。

 上原と市川も彼らのようにもっと助けあえば、橋本学校でもずっとやっていけたのではないかと思うのであるが、いかがであろうか。ちなみに、コンビネーションで助け合うライターコンビとしては大映テレビの江連卓、大原清秀コンビ。(兄弟のように仲がいい)
東映の特警シリーズ、ジャンパーソンの宮下隼一、扇沢延男(兄弟のように仲のいい)のコンビなどが上げられる。また、俺たちシリーズの鎌田敏夫、畑嶺明のコンビ(兄弟のように仲のよい)もまた然りである。資質が異なったうえでお互いをカバーしあい、それが、コンビを組んだ時、3倍以上のパワーを発揮するのである。

 そして「ウルトラマンレオ」。とにかく放送当時、評価が低かったが、それに加えて、児童誌の扱いも最悪だった。小学館BOOKは連載一ヶ月で廃刊になるし、数字は一桁だし、絵本も他シリーズより少ないし、他のシリーズと付随してワン・オブ・ゼムという扱いだった。内容が内容なだけに総スカンをくらうのは仕方がないが、常にレオだけ仲間はずれ、レオだけ特集なし、レオだけ内山まもる・かたおか徹二の漫画にも兄弟として、加えず、異端児として、外人選手扱いとなっていた。だが、その内山漫画である「ジャッカル対ウルトラ兄弟」が実は第3次ブームの引き金であった。「レオ」は当時、3クール打ち切りの案があったが、4クール目にウルトラ兄弟を巨大円盤に乗せて、宇宙大決戦をさせるという案もあったのである。しかし、「レオ」という番組を考えた場合、「円盤生物シリーズ」の企画を通した方が成功だった。その代わり、その企画を実現したのが内山漫画なのである。案の定、「レオ」はそのままで数字は苦戦のまま終了するが質は保ったシリーズであった。しかし、毎日新聞をはじめとする記事は無理解のままであったことはいなめないが。毎日新聞昭和50年3月13日の記事はひどかった。

「みんなが子供に夢をを言った。しかし、外野の一人は言った。あれはやっている大人の積木遊びであると。みんながおもしろがって積木を壊したのだ。」

その外野の1人が誰であるのか知らないが、当時者から見たら、悪意に満ちた無理解者である。その無理解者は「レオ」ではなく、ウルトラシリーズ全体、ひいては、特撮ヒーロー全体に無理解であるのは言うまでも無い。このあたりからPTAのアンチ、ウルトラ、ひいては、ヒーロー番組を見せるな運動は活発化していく。「燃えろアタック」(S54〜55)や「レッドビッキーズ」(S53〜57)「あばれはっちゃく」(S54〜60)「少年探偵団BD7」(S50)「それゆけ!カッチン」(S51)「こども傑作シリーズ」(S57)などはその時代の機運に乗じて生み出された、申し子であったのではないだろうか。

 しかし、ウルトラや、ライダーを失っても、「秘密戦隊ゴレンジャー」(S50)が作られ、ロボットアニメブームが起き、我々、ヒーローファンは全く、動じなかった。むしろ様々な作品にウルトラ以上の魅力を求めていた。「超電磁ロボコンバトラーV」(S51)「超電磁マシーンボルテスX」(S52)はより、ウルトラ以上にマーチャンダイジングに力が入り、商売を活性化させた。一方で、「無敵超人ザンボット3」(S52)ではドラマ性の強化、「宇宙戦艦ヤマト」(S49)ではSFブームを巻き起こして、ウルトラ以上に社会を動かす原動力となっていく。そして「機動戦士ガンダム」(S54)の登場ということになる。マーチャンダイジング的にも人間ドラマ的にも第2期の延長に位置していると,このアニメロボットの流れで判る。長浜忠夫も富野喜幸監督も、ウルトラを意識していたのはいうまでも無い。既に、橋本シリーズや、吉川シリーズで、そしてピープロの諸作品で語られた事項が時代の流れとともに陶だされていったにすぎないのである。

 その時期に悪名高いファンタスティックコレクションが生み出される。今でこそ悪名高いあの本であるが、当時は資料的価値が高く、発売日に即日完売するパワーの書籍であるのは間違いない。実際、私も怪獣消しゴムを集める年齢であったが、狂喜して買った。

「ウルトラマンが大人の鑑賞物として語られる時代が来た」と。ただ、問題は多い。第一期の時点で解雇された金城哲夫の心酔者である酒井敏夫(イコール竹内博)を始めとする第一期至上主義の文体は第2期論争を生む戦犯である。しかも悪いことに、この本は再販に再販をかさね、第4版まで数多くのファンの手に渡り、ニセの情報として真実となってしまったのだ。ウルトラシリーズはセブンが最高。タロウは幼児向け、不必要などたばた、「僕にもタロウの脚本はかける」というニセの評価を、実際、鵜呑みにした方は多い。いや、それすらも、PTAに対抗するいい年をしてもこれを見てもいいという免罪符の作用を狙っていただけなのかもしれないが。

 再放送を選択する立場にあるものでさえも、それを鵜呑みにし、セブンの再放送はいやがおうにも増えていくことになる。そして、それにひきかえ、タロウやレオはどうしようもない。というのは枕言葉のように語られていくのである。更に、面倒なのは「ザ・ウルトラマン」「80」の放送期、企画者すら、信念が揺らぐ企画をさせてしまったことにある。ザ・ウルも「宇宙戦艦ヤマト」のような形の番組にする予定ではなかったし、「80」にいたっては学園物のまま1年間を消化する予定であった。時代のSF至上主義の目がこれらシリーズの核の部分を揺るがし、路線変更させてしまったのである。そして、それでも、どうあがこうが、両者とも、数字はのびなかった。これだけの、ウルトラ、フィーバーの中、これだけのブームの中にあってでもある。ハヌマーンの「ウルトラ兄弟対怪獣軍団」が実相時昭雄の「ウルトラマン」より興業収入が下であることを何度嘆いたか、わからない。

 そして、誰もがウルトラは終わりを思ったころ、「アンドロメロス」が再度登場する。内山まんがで見慣れた彼が実写として甦ったのである。ああ、これが、テレビシリーズの1年間シリーズであったなら・・。そう思ううちに間髪をいれず、「ウルトラマンゾフィー」「ウルトラマンストーリー」などの映画が作られる。

 連綿と濃いファン活動はつづき幻のセブン12話、新マンの11月の傑作群などはカルトファンの共通の話題となっていく。「シルバー仮面」(S46)の伝説化や「イナズマンF」(S49)の幻のシナリオの発表、「快傑ズバット」の再放送署名運動も一つのマニアの歴史の事件であろう。それも、今となっては業界の仕掛けであることもみえみえであるが。

「人造人間キカイダー」(S47)のハカイダー編のブームもまたしかり。いずれもファンの間に一大旋風を巻き起こした成功事例の仕掛けである。出渕裕、池田憲章、会川昇といったマニア上がりの業界人が台頭してきたのも、この頃であり、彼らは岡田斗司夫らと並び、早すぎた、オタクだったのである。そのうちの一人、氷川竜介もまた、竹内博同様、レオの路線変更時、ファンとして、スタッフルームに出入りしていたメンバーであったのが、近年明らかになった。マグマ星人の再登場や、怪獣ボールは彼らのアイデアであることは、今となってはうなるものがある。また、出渕がシリーズ構成にタッチした「超電子バイオマン」(S59)もマニアを唸らせる名作にしあがった。マニア上がりの連中はセンスがよいのだ。近年の赤星正尚さんも、荒川稔久さんも然りである。そして、金城、佐々木、上原、市川のシナリオ集が出る。この4人の殆ど、書かない「タロウ」「レオ」「80」は評価から除外されてしまうことになる。何故、「タロウ」や「レオ」のシナリオ集は出ないのであろうか。そしてファンコレも、何故。が、しかし、長坂秀佳の「人造人間キカイダー」「アクマイザー3」「快傑ズバット」のシナリオ集が出たという利点もあったのであるが。

 そして、「泉麻人のウルトラ倶楽部」が放送。「超人機メタルダー」(S62)の放送でマニア層が狂喜している時期なのも皮肉なタイムリーであろう。そして、それが一般化してくる。ここであえて、「マン」ではなく「セブン」が選ばれたのも、やはり、セブン至上主義は横行していたのである。泉の解説はマニアに不評だったが、そういう感覚がセブン至上主義者の特徴である。そしてそんな時、宮崎勤の事件が起きる。
 セブンのファンである彼は幼女を誘拐監禁して殺害した。その彼がセブン12話をもっていたことで更に話題は騒然となった。

 「オタク」という用語が生まれてしまうことになる。これを読んでいる若い諸君。オタクとは褒め言葉ではない、宮崎のような犯罪に走りやすいものを総称するのだ。だから、少なくとも、このような差別用語は口にしないことをお薦めしたい。オタクとはよばず、マニアをよんだほうが格式があると思わないか。

 大体、宮崎事件以前はマニアでそれ以後のマニアはオタクと呼ばれなければならないのではアンフェアであり、不平等であると思えないか。また、私は宮崎の犯罪は許すべきではないと思うが彼は決して根からの悪人だとは思わない。金にルーズ。約束にルーズである点をのぞけばそして、犯罪者である点をのぞけば、単なるニートでしかない。そう、ビデオや萬画を集める事じたいは犯罪ではないのだから、必要以上に責めるなといいたいし、それを仕事としているような私も含めた大人もいるのだということもわかってもらいたいのである。
ただ、ホラービデオが多く、コレクションの1位が「ジャッカー電撃隊」「怪奇大作戦」なのは多少、問題をかんじるが。

ただ、初対面の時、上原さんがこういったのを思い出す。「HONMA君には悪いけれど、彼は「燃えろアタック」のビデオも持っていたらしいんだ。」はーっとなった。いや、千葉で再放送をした時期だから持っていても不思議ではないが、俺でも知らないのに上原さんには関係者がぞっと取材に来て、あなたの書いた番組これこれを彼は持っていたと丁寧に忠告したというのだからたまげている。暇な事をするものだ。

 私が言っているのはバランスの問題である。ホラービデオや怪奇ばかりではなく、「燃えろアタック」も見たり、時代劇も見たり、ホームドラマも見たり、その割合が彼をああいう方向に持っていったと今も思う。

 ただ、上原さんについても、ちなみに書かせてもらうが、橋本学校時代に書いた「決めろ!フィニッシュ」(S47)や「紅い稲妻」(S45)よりも東映で書いた「燃えろアタック」や「レッドビッキーズ」の方が、橋本洋二という壁がないだけ、のびのびかいて作りが暖かいというのは言うまでもない。「帰ってきた」より「タロウ」が暖かい作りで、「シルバー仮面」より「アイアンキング」(S47)が暖かい作りなのと同様、失敗のあとは成功がある。ポジがあればネガがあり、陰があれば陽があるのと同じ。

 やはりバランスは栄養素だけでなく、全てに渡って重要であると今日感じる。ホリエモンもしかりである。ホリエモンにいたっては、まさか自分より年下の人間とは信じられないのであるが。一晩にして、英雄から犯罪者とは、世の中は恐い。

 その中で佐野史郎という役者はオタクである事を武器にインテリ俳優として活躍中である。彼はカリスマもあり、常識人であり、才能もある。京本政樹と並ぶ、オタク俳優のベスト2であろう、ここでも京本が陽なのに対して、彼は陰である。しかし、冬彦を利用してのし上がったとは思えない、インテリぶりには驚嘆する。両者とも、バランスのとれた、オタクであり、マニアと呼んだ方がいいだろう。もともと、芸能界はオタクの塊なんだから、高島兄弟だって我々のようにビデオにかこまれた部屋にいるのだし、長坂秀佳の書斎だって汚らしいったらありゃしない。むしろ極めた人であればあるほど、汚い部屋にいるような気がするから紙一重である。その中で泉麻人もインテリオタクであり、深いアイドルオタクである。「テレビ探偵団」で彼の時代が好きか林家こぶ平の時代が好きかでその人の嗜好が判るが、私はこぶ平の方がいい。やはり、人とちゃんと向き合える知識人であって欲しい。多少馬鹿にされることはあっても。

 話はウルトラに戻るが、第1期マニアはどうも泉や、佐野、宮崎、ホリエモン、三谷幸喜のような、、少し、人の話しを聞かない方が多いのは気のせいでああろうか。こぶ平や京本政樹のように、あるいは人の意見をきちんと聞く方が少ないのは悲しいことである。他にも「チェンジマン」「ジェットマン」「メタルダー」のファンの方も同様である。まあ、至上主義にするのはよしとしよう。こういう方がたはパソコンのスキルも高いし、知識もずばぬけているのは判るが好きな作品をほめたうえで「それにひきかえ『タロウ』は『レオ』は、また『ゴーグルV』はどうの『ジュウレンジャー』はどうのと・・・」といって比較して叩くのだけはやめてほしいのである。今に始まった事ではないが、これは終始あの頃と変わっていない事項である。

 さて、ウルトラは「ウルトラマングレート」、「パワード」といった海外物の時代となっていくが、「タロウ」「レオ」の評価の低さは相変わらずだった。その上、当時全盛を極めた、作家市川森一のアンチホームドラマ主義、アンチ、親子テーマ主義。により、橋本路線の申し子として、「タロウ」「レオ」は叩かれ続けていく。市川作「私が愛したウルトラセブン」の企画会議の場面が象徴している。スパルタ教育させようとするプロデューサーに真っ向から戦う市川。親子の情を知らない市川らしい発言であったが、それは真道としてまかりとおってしまうことになる。私とて、市川の発言を完全に理解している訳ではない。それに別の彼のように継母に育てられた訳でもないので彼の信条を100パーセント理解するのは不可能である。

 しかし、彼のような人間のお陰で「タロウ」「レオ」の評価は著しく落ちてしまったのは事実だ。「「ヒーロー」に彼女がいて、その弟もいるといった日常には反発する。」「徹底したSF路線で突っ走らなければならない」「ウルトラの母や父は不必要」。市川のこの発言は力を持ち、なお、シリーズ、はホームドラマを否定する作りで作られてしまう事になる。
 世の中は力のあるものの発言が全てである。たとえそれが間違っていても。将軍綱吉の生類哀れみの令などはその一例に過ぎないのだ。市川は確かに力はあるがこの極論はわたしには不快でしかない。もし、これを読んでいらしたら、市川さん、「タロウ」「レオ」のファン、ごめんなさいと深く頭を下げて欲しい。オウム信者に対する氏のコメントへのバッシングにより、少し、おとなしくなったものの、いまだ、狂信度は変わらないのは困ったものである。

 長坂秀佳による「ウルトラマンゼアス」はそれへの反論とみて間違いは無いであろう。
 もう一人、わが師匠、上原正三にも触れておく。彼は初代ウルトラマン至上主義である。それはそれで結構なことだが、「タロウ」以降のシリーズを殆ど見ずにいっているのだから始末におえない。この年齢の方に、説教をするのは刻かもしれないが、金城哲夫を崇拝するのは構わないが、せめて、今日までのシリーズの系譜もしっておいていただきたいものである。

 田口成光は、アンヌ役のひし美ゆり子とともに「アンヌへの手紙」をやり始めてから、発言が第1期よりになってきたし、阿井文瓶も右にならえである。「ウルトラマン」は反体制テロリストである。と往年は見事な発言をしていたのに今は市川に合わせなければ食えない、それだけこの業界はファシズムにあふれているのである。このカトク隊にしたところ、昨年は複数サークルが抗議をしてくる始末である。正しいことを正しくやることに抗議がくるのは考えものだとは思わないだろうか。弱いものを叩く暇があったらこういう業界の支配者を叩くべきだと思うが。いかがであろうか。

 シリーズは「ウルトラマンティガ」以降の平成シリーズにはいっていくが、ここでもウルトラシリーズに日常性やホームドラマは殆どなく、セブン型のシリーズとなっていく。第一期世代が送り手に回ったのだから当然ではあるのだが、第2期派の我々からみるとただの攻防戦にしか見えないのである。日常を人間を、ドラマを描こうとするスタッフはいなかったのであろうか。「ダイナ」「ガイア」「コスモス」も然りである。ウルトラシリーズは常に戦隊やライダー、メタルヒーローシリーズよりも数字は下の段階でとまってしまうことになるのである。それは第一期至上主義で子供をおざなりにした文芸が理由に他ならない。メタルヒーローもその中でも対象は高めに設定されてはいるが、子供をおきざりにするほどSF嗜好ではない。娯楽嗜好の方が、まだ強いのである。バトルのない特警シリーズですらもである。子供番組たる最低条件と娯楽性はふまえて欲しいものである。

最新作のセブンエックスにいたるまでである。時間帯が日曜朝ならもっと数字がとれるのであろうか。「ネクサス」「マックス」はやはり初期ウルトラ世代のスタッフによる「セブン」「初代マン」の再生であったが、2〜3パーセントの視聴率がつづくという意外な苦戦をする。これらの作品を経て、シリーズに我々の怨念は結実を見る。

 「ウルトラマンメビウス」(H7)である。開始当初から鳴り物入りで第2期型のシリーズとしてスタートしたシリーズは、しかし、出来上がったものは「平成のタロウ。平成のレオ」とでもいうべきシリーズであった。林寛子、斉藤とも子と、レッドビッキーズ両監督を出演させるなど、第2期派というより、ベビーブームで生まれた父親世代、つまり、私ぐらいの年齢の大人を意識した作りとなった。視聴率的には、ウルトラファミリーが大挙登場する番組後半においては4パーセント台まで回復(コスモスやガイアの後半と同じぐらいである)。さらに映画『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』もスマッシュヒットとなった。
 しかし、これら「メビウス」における若干の人気の回復も大成功とまではいえず、円谷プロは大手企業の傘下に入らざるをえなくなっていく。

 そして、歴史は繰り返すのか。セブンの時、倒産寸前だった企業の、そしてレオ終了時に「積木はこわれた」と言われたときの円谷に逆戻りしてしまった状態になったのであろうか。否、私はそうは思わないのである。これだけ、シリーズがつづき、ファンを増やし、レンタル屋にいけば、全シリーズが並んでいるシリーズであるウルトラはもう、国民の文化であり、「見た事が無い人」の方が、変人なシリーズなのだから。全然、あの頃のどん底とは違うのだ。誰もが、ウルトラを愛し、ウルトラの人口は増える一方なので減る事はないのだから。

 カップヌードルやマクドナルドが永遠に不滅なようにウルトラシリーズも不滅だ。「マン」「セブン」で止めてしまい、以後に興味がわかない方がこれを読んでいたら、知って欲しい。ウルトラシリーズはあなた方が見なくなってからもずっとつづき、より、深く、より、パワーのあるシリーズとして継続しているのであると。
最後にウルトラ書籍関係の方に望むことを付記しておこうと思う。

1)Q、マン、セブンにばかりにページ数をついやさないで、全シリーズを万遍なくあつかってください。講談社、オフィシャルムックのような扱いはやめてください。
2)上原さんや市川森一など、第一期至上主義で後期を見ていない方の発言はカットしてください。発言したいなら、全シリーズ見てからさせてください。また、阿井や、田口がのびのび発言できる環境を整えてください。
3)第一期至上主義者を業界から断絶させましょう。そんな人はもう、数少ないと思いますがね。白石雅彦は第一期寄りの中立株、浮間舟人は第2期寄りの中立株でとても好感持てる。中立はいいことです。更に用田邦憲は作家に詳しく、中立株なので有望である。また、安藤健二は若手で世代人ではない中立株で好感もてる。
4)タロウ、レオ以下のシリーズの扱いを増やして、ファンコレ、シナリオ集、なども単独ムック出してください。双葉社の帰ってきたウルトラマン大全のような体裁の書物ならタロウでも売れる筈です。

では次に平成ウルトラのスタッフに対しての意見書。
1)ハードなSFじたてのものだけではなく、タロウのような夢のあるホームコメディをやってほしい。
2)ヒロインに軍服を着せず、日常のホームドラマ性を復活させて、往年の人造人間キカイダーのミツ子とマサルように姉と弟の図式でやってほしい。
3)に付随して、ヒロイン重視でやって欲しい。「太陽の牙ダグラム」(S57)のようにヒロインを蚊帳の外にするのではなく、ヒロイン中心にやって欲しい。それについては一昨年「吉川進・全記録」で扱ったのだが、早くも昨年、「仮面ライダー電王」で姉と弟の図式が復活したので嬉しい限りである。ちなみに電王の愛理姉さん役の松本若菜さんのセクシー写真集は我が家の家宝となっている。
4)80のような学園路線に再度挑んでほしい。メビウスの80話は大好評だったので是非お願いします。
5)レオの特訓、円盤生物ラインの復活ですね。敵はレギュラー、パターン化した方が面白い。
6)アルマのようなコメットさん風の助っ人ヒロインと共演させて女性ファンを拡大させてください。いいですか。ユリアンではなく、アルマですよ。遠藤真理子さんがやったアルマにバトンをふらせるんですよ。ね、久保さん。
7)マゼラン星人マヤのように、ヒューマノイド型のヒロインゲストを多数出してください。
いいですか。香野百合子さんが演じたマヤさんのような人ですよ。
8)そして、最後に一つ、メビウスでは、林寛子、斉藤とも子を出してくださってありがとうございました。来年は荒木由美子さんを母親役としてレギュラーにしてください。
本人はとてもやる気マンマンなので是非、お願い、いたします。
今の社会は弱肉強食。自殺者年33000人。大場久美子ですら自殺寸前までいった時代である。それは,核家族化、少子化が原因であり、女性上位、ニート、派遣社員の使い捨てと、正社員の酷使、格差、学力低下。政治腐敗。外交失敗。経済悪化。株の暴落。色々と原因があるが、内容をほのぼのとしたものを送り手は送って欲しいものである。2011年には全テレビがデジタル化するそうだが、その年に介護老人も、いまの2倍になるそうである。デジタルテレビにこだわるのと同じように、介護老人の方にも目を向けて、目を向けられるような若者たちを育てる教育番組として、今後のウルトラシリーズに期待します。『吉川進・全記録』とかぶるものもありますが、基本的に東映ヒーローもウルトラも根底は同じという事で締めることにいたします。
以上、2008年、ビッキーHONMA


*管理者(ヤフール)より
文章中に長坂秀佳の部屋の話がでますが、ビッキーHONMAさんは、一時期長坂秀佳さんのところで脚本家の修行をされていたそうです。

新マンにおいて、坂田アキは、坂田アキ中心にお話ができているわけではないんで、そういう意味では、最重要人物ではないでしょ。アキに思い入れのあるひとには気の毒ですが。

新マンとエースについてですが、一応第二期で20パーセント台の数字をおおくはじき出したという点でやはり評価できるでしょう。タロウも常時15パーセント以上をとってたんで、一般的な人気番組のボーダーラインは保っていました。それにくらべて平成はほとんど1桁ですからねえ。人気の差は歴然です。

新マンは、大昔の冬木透のインタビューでは、「瞠目の成功をおさめた」といっていて、かつては内部的な評価は高かった様です。そういう冬木氏も、アンヌの本やCDに関わってからは右にならえですが、

あと、ホリエモン(堀江貴文)は第一期マニアだそうですが、実は第一期世代ではありません。1972年うまれですんで、第三期世代です。老けてみえますけど。

『ザ・ウルトラマン』『80』の低視聴率ですが、怪獣ケシゴムやキングザウルスのブームが、そろそろ終わりかけたときに製作されたんで、それで視聴率が悪かったんじゃないでしょうか。筆者は当時を知ってますが、とくに『80』のときは、完全にブームがおわってました。

ちなみに白石雅彦ら「中道」という評価をあたえているライターたちについてですが、筆者としては一見第二期ウルトラを再評価しているようにみせかけて、「裏テーマ」としてけなしているようにみえてしょうがないんですけどね。白石氏なんか典型的な市川森一シンパなんで市川森一のまねして「裏テーマ」として第二期けなしを遠回しにやっている気がします。講談社オフィシャルムックなんかは、仮面ライダーは1作品に一冊という平等な扱いなのに、ウルトラになった途端に不平等になるのがやはり納得いかないのは事実です。

東映ヒーローもウルトラも「介護老人の方にも目を向けられるような若者たちを育てる教育番組に」ってのは同意ですが、仮面ライダー電王はそうなってないんで文句いってたんですけどね。人助けをいやがったり「仲間だけ守る」とかいってたら、身寄りのないお年寄りはどうなっちゃうんですか(苦笑)。


メニューにもどる