作品研究4

『第二期ウルトラ特撮映像論』
01,8/5日、追加訂正(訂正箇所は青字)

※おことわり
このコーナーで行っている考察は一種の思考実験であり、ウルトラセブンの価値を貶める意図はありません。

第1章『ウルトラマンレオ』の特撮について

『レオ』というとどうしてもドラマばかりが論じられてしまうのですが、なかなかどうして、特撮も結構見ごたえがあるんですよ。なんたってあの矢島信男氏が全面参加した唯一のウルトラなんですから。といっても自分より下の世代の特撮ファンに矢島氏といっても、佛田洋氏(近年の東映の戦隊シリーズの特撮を手掛ける特撮監督)の師匠というふうに説明しなきゃいけないのかなあ。

その1 『ウルトラマンレオ』(74年)の1話と『ウルトラセブン』(67年)の1話の比較

『レオ』の1話は怪獣が3体出て、ヒーローも2体登場。特撮も水を大規模に使った東京大沈没のスペクタクルでウルトラシリーズの1話としては屈指の豪華さを誇る。この回の特撮は、他作品からのライブフィルム使用は3カットしかなく、しかもそれぞれ1秒あるかないかとう短いカットで他はすべて新撮影である。また、東京が大津波に襲われる一連の特撮は『マイティジャック』の MJ 号の発進シーンを思わせる超スロー撮影を多用され、重厚で巨大感のある水しぶきの動きが表現されている。
 それに比べ『セブン』の1話は、登場怪獣は2体、しかもそのうちの1体は操演による怪獣(クール星人)なので着ぐるみの怪獣より安くあがっているのは明白だが、『レオ』の1話は怪獣は3体とも着ぐるみの怪獣である(しかも3体とも着ぐるみは新調)。また特撮も、中盤でちょこっとコンビナートの爆破があるぐらいで『レオ』に比べれば地味。コンビナート爆破の特撮も、アングルが高くて巨大感に欠ける上、コンビナートからなぜかドラゴン花火のような火花があがっているといういい加減なもので…。こうやって1話同士で比較すると、どうみても『レオ』の方がお金がかかっているようにみえますが…。
 ストーリーのアイデアも『セブン』の方は『ウルトラQ』(66年)のケムール人の回の簡略版リメイクという感じで、侵略者とウルトラ警備隊の駆け引きを描いただけの話で、これといって語れるものはない。『レオ』の1話は、ダンとゲンの宇宙人と地球人の立場の違いの苦悩をのっけから描いているうえに、演出も真船禎氏によるものなので大変凝っている。『セブン』の1話は本編の演出もオーソドックスでこれといって見るべきところはない。

その2 『レオ』の最終回と『セブン』の最終回の比較
 まず、コロッケに手足の付いたような冴えないスタイルのバンドンに比べ、ブラックエンドのほうが、デザインのスマートさ、造型物のボリューム共にバンドンを上回っている。
 さらに特撮セット。『レオ』の最終回のセットはちゃんと工事現場や操車場のミニチュアセットが組まれているが、『セブン』の最終回の特撮セットは、わずかに草が生えているだけで全く建造物のミニチュアがない。これでは実相寺昭雄の小説『星屑の海』に登場する架空の低予算C級特撮番組『アイアン・ゴリアス』のセットそのものではないか。この小説では実相寺本人をモデルにした吉良なる映画監督が、『アイアン・ゴリアス』という番組の演出をまかされ、その作品の特撮セットが単なる原っぱらで全くミニチュアがなく、せめて高圧線の鉄塔ぐらいあればいいのに、と嘆くくだりがあるが、セブンの最終回の特撮セットも、高圧線の鉄塔すらない。つまり『セブン』の特撮は『アイアン・ゴリアス』並みなのだ。なのに、なぜ『セブン』の特撮はウルトラシリーズ最高だと信じる特撮ファンが今だに多いのだろう。
 『レオ』も『セブン』の後半も、共に予算的に厳しかったことで知られるが、これは察するに、『レオ』のころは、スタッフが予算を効率良く使うノウハウを身に付けたあとに予算を削られたので、まだそれなりのものが作れたのだが、『セブン』のころはスタッフが予算を効率良く使うノウハウを十分身に付けていないうちに予算を削られたので、即、それが画面に出てしまったということなのだろう。また、『レオ』のころは、3年も続いた怪獣ブームの直後の作品なので、過去の特撮作品の建造物のミニチュアのストックが大量にあると思われ、これを流用することで、作品の実質的な予算は低くても特撮セットをある程度装飾することが可能だったようだ。

 昭和46年『帰ってきたウルトラマン』放送直前の時期に円谷プロで企画された『戦え!ウルトラセブン』なるNG番組(『ウルトラセブン』の続編を製作、放送するという企画)の企画書には、ウルトラシリーズの製作にかかる制作費は、製作上のムダを除けば以前ほど高額にはならない、という意味の記述がある。初期ウルトラの現場スタッフは、経験の浅い若手スタッフが多かったことで知られ、この企画書のこういった記述は、初期ウルトラの製作時に経験の浅いスタッフが試行錯誤によって製作予算のむだづかいをしていたことを伺わせる。
『エイリアン4』(98年)のジャン=ピエール・ジュネ監督は、この作品の公開時の来日において、以下のような、日本人の映画ファンにとって意外ともいえるコメントをしている。
「小予算の作品も、大予算のハリウッド映画も、いつもお金が足りない。毎日、「ここをカットしろ」「もっと単純に」と言われ続けた。ハリウッド映画を作ればいくらでも予算がもらえ、すごいことができると想像していたが全く逆だったので、がっかり。」
 つまり映画の製作には、いくら予算があっても、予算をいかに効率よく使うかという工夫が必要なのだ。この工夫がなければ巨額の予算も水泡に帰す。映画の製作は常に予算などの制約との戦いだ。これは無限に予算が使えるかに思われているハリウッドの大作映画においても、日本の怪獣ものにおいても実は同じことなのである。
※このジャン=ピエール・ジュネ監督のコメントは、産経新聞のホームページで読むことができます。
http://www.sankei.co.jp
(映画のコーナーの98,03,27『逃げ場のない死闘再び 特集「エイリアン4」』)

 また、『セブン』後半は製作予算の減少のためか現場が熱気を失っていたそうで、実相寺昭雄の著書『夜ごとの円盤 怪獣夢幻舘』(大和書房)には「セブンの後半は現場がダレていた」という記述がある。

「プロダクション全体をおおうダルな空気が耐えられなかった。(290ページ)」
「以前ウルトラマンの頃なら、特撮部分の少ないことを、特撮班は怒ったものだった。しかしこの頃では特撮が少ない台本を喜ぶような有り様だった。(291ページ)」

『セブン』の最終回の特撮セットが、先に述べたように殺風景だったのは、70年代の時ほどスタッフが熟練していなかったことに加え、こういう当時の現場の状況の影響もあったと考えられる。

 また『レオ』の最終回の操車場のミニチュアは本編のロケ地と合わせてあり、本編ともうまく繋がっている。『レオ』の最終回の特撮は、つねに矢島信男特撮監督お得意の、地を這うようなローアングルで撮られていて巨大感があるが、『セブン』の最終回の特撮はアングルも高い。『レオ』の最終回はビルの破壊シーンもある。(ブラックエンドのシッポが写っているから新撮だ! 『セブン』の最終回では、世界各国の都市がゴース星人の地底ミサイルで破壊されるシーンに、大量に映画『世界大戦争』のライブフィルムが使われていて、このことも、『セブン』後半が予算的に厳しかったことを伺わせる。)どうでもいいけど『セブン』の最終回の前編で、疲れたセブンの出すエメリューム光線が途中で止まるシーンは、光線というものがどういうものかスタッフが解っていないというマヌケな特撮ですね〜(笑)。

『レオ』の4話『男と男の誓い』の、中盤の星人がビル街を破壊するシーンのセットと、『セブン』の『蒸発都市』の、クライマックスでセブンが戦うシーンでのビル街のセットを比べてみても、『レオ』の特撮セットが意外とちゃんと作ってあったというのがわかる。『レオ』の4話のセットのほうが、『セブン』の『蒸発都市』のビル街より、多くのビルのミニチュアが確認出来、ビルに看板がついていたりと現実的で、道路にも電柱や電話ボックスがあったりと細かく作っている。破壊するビルのミニチュアも、『セブン』の『蒸発都市』では3つなのに対し、『レオ』の4話は5つのビルを破壊(切断)して、そのうえ鉄骨を溶解させるシーンもある。
 この『レオ』の4話では、星人が自分の身長より高いビルを、縦一文字に切断するカットもある。このカットでは、恐らく高さ2メートル前後の大きなビルのミニチュアも製作されていて驚かせる。
 
 特撮セットを撮影する際、カメラアングルは、なにか特殊な演出効果を狙った場合でもない限り、なるべく低い位置から撮った方が巨大感がある。それは、ミニチュアの縮尺と同じ縮小率の小さな人間が仮に存在したと仮定した場合、その人間の目の高さが、特撮セットの中において低い位置になるからである。
 初期ウルトラの特撮は、高いアングルから捉えたカットが多く、これが今日的に見て、ミニチュアの巨大感を損ねてしまっている。
 また『レオ』や『ミラーマン』(71年)などの円谷作品で、矢島信男特撮監督は、ホリゾントの前に白いスモークをたいて雲を作るということをよく行っていて、この手法は、セットの奥行きを出すには効果的である。『レオ』では大木淳吉(大木淳)特撮監督も、矢島氏に触発される格好でシリーズ後半からこの手法をつかいはじめる。

 初代『ウルトラマン』(66年)『セブン』の、山岳地帯の特撮セットのホリゾントには奥行きを表現したかったのか、山並の絵が描かれていることが多い。こういったことは第二期ウルトラや平成ウルトラ(『ティガ』〜『ガイア』)の特撮セットではあまり行われていない。『マン』『セブン』の特撮セットの山並の絵は、今日的視点で見るといかにも書き割り然とした下手な絵だったりする(当時はリアルだったんでしょうが…)ので、特撮セットの奥行きを殺してしまっているように思える(悪くいえばバラエティ番組のコントのセットのようなチャチさである)。
 これに比べ、第二期の特撮セットは、山並が描かれている場合でも、『ウルトラマンA』(72年)の3話の富士山のように写真のようにリアルだ。

 未確認情報だが、この時期のウルトラの特撮セットのホリゾントの雲は、洋画家の島倉二千六氏によって書かれたらしい(おそらく『A』全話と『タロウ』前半のホリゾントは、島倉氏によるものと思われる)。
島倉氏は「雲を描かせたらこの人の右にでる人はいない」と言われる画家である。島倉氏は黒澤明、伊丹十三監督作品にも参加し1992年には日本アカデミー賞協会特別賞を受賞。他、数多くのCMや舞台美術、「新横浜ラーメン博物館」などの博物館の背景画もてがけている。

 ただし『レオ』の特撮セットでは、20話、21話の北海道のセットや37話の鏡のなかの世界のセットでは、ホリゾントに山並の絵が描かれている。しかし、そもそも第二期ウルトラや平成シリーズの特撮は『マン』『セブン』の特撮に比べローアングルで撮ることが多いことから、山並の絵を描く必要がなかったと思われる。

その3 特撮スタッフについて

『レオ』の特撮スタッフは、なにより米アカデミー賞において、日本人の特撮監督で唯一ノミネートされたことがあるという特撮監督・矢島信男氏が、メイン特撮監督として51本中18本の特撮演出を行っているのが目玉。米アカデミー賞にノミネートされたことは、円谷英二氏でさえ成し遂げられなかった快挙である。矢島氏は『宇宙からのメッセージ』(78年・監督/深作欣二・東映)で米アカデミー賞にノミネートされた(『映像メディア作家人名辞典』(日外アソシエーツ)593ページ、『日本映画人名辞典』(キネマ旬報社)827ページなどより)。
 矢島氏は、東映の戦隊シリーズなどの特撮を手掛ける特撮研究所の創設者でもある。氏は、篠田正浩監督『夜叉ヶ池』(79年)や深作欣二監督『里見八犬伝』(83年)『上海バンスキング』(84年)の特撮監督もてがけ、戦隊シリーズの特撮は現在も『パワーレンジャー』(93年〜)シリーズの特撮として世界中に配給されている。矢島氏は、まさに世界に誇る日本特撮の才能といえよう。矢島氏の撮った『レオ』の特撮は、怪獣とレオとの格闘シーンの構図の取り方や編集が見事で、もはや芸術的(?)ですらある。

また、やや他の文章と内容が重複するが、『レオ』の特撮美術は、平成ゴジラシリーズ(『ゴジラVSビオランテ』『ゴジラVSキングギドラ』『ゴジラVSモスラ』『ゴジラVSメカゴジラ』『ゴジラVSスペースゴジラ』『ゴジラVSデストロイア』)全作の特撮美術を手掛けた大沢哲三氏が特撮美術を全話担当。氏は『レオ』以降、特撮研究所で矢島氏の演出作品の特撮美術を多数てがけ、先の米アカデミー賞でノミネートされた『宇宙からのメッセージ』も大沢氏と矢島氏のコンビによる作品である。

 また、実相寺昭雄氏の作品の特撮監督を多く手掛けた大木淳吉(当時は大木淳名義)氏がローテーションに入っていて、34話のアシュランに新マンとレオがとどめを刺す場面や、40話の冒頭のブラックスターの描写などで見せた幻想的な映像効果も注目したい。矢島信男氏、大沢哲三氏、大木淳吉氏が全面参加しているというだけでも、レオのスタッフは結構豪華スタッフといえるのである。

 この『レオ』のスタッフに巨額の制作費を与えたら、それこそハリウッドにまけないものが…。なにしろ『レオ』のスタッフ(特に特撮スタッフ)は、予算の使い方が上手いんですから。予算が効率よく使えないスタッフは先に書いたようにプロデューサーに怒られちゃうのでハリウッドでは通用しません。それになんたって『レオ』は、『セブン』やほかのシリーズと違って、本当にアメリカで評価された人(矢島信男!)が参加してるんですからね。

*追記(2005/8.21)
『ウルトラマンタロウ』DVDのライナーには瞠目すべき新事実がいろいろ明かされますが、筆者としてうれしかったのが、Vol.7の進行主任の藤倉博のインタビュー。いままで第二期ウルトラは予算が少なかったということがいわれましたが、画面ではとてもそんなようにはみえなかったので変だとおもっていました。が、このインタビューではやはり第二期ウルトラもかなり予算はかけてたということが明かされています。この文章で書いているように、第二期ウルトラはけっこう特撮がすごいのですが、それは2次使用やマーチャンダイジングの収入を見越して、制作費を上乗せしていたからだったらしいです。この藤倉氏の証言によれば、当時(70年代)映画業界内では「円谷プロのウルトラマンは予算が関係ない」といわれ、他のテレビ映画の現場から羨ましがられていたという。『Official File Magazine ウルトラマン』のVOL.7(講談社)によると、『タロウ』の次回作の『レオ』も同様だったようで、オイルショックによる物価高騰の影響で制作費が実質目減りした状況ではあったものの、予算的には『タロウ』と同じ予算だったようで、極端に低予算というわけでもなかったようである。マーチャンの収入が作品のクオリティアップに繋がったとなると、マーチャンダイジングさまさまの状況である。

一時期、なぜか初期ウルトラから関わったウルトラのスタッフは「第二期ウルトラは予算が少ない」という発言ばかりしたのは何がしかの業界内の政治的な事情があったのであろうか??


第2章『ウルトラマンA』の特撮について(文中敬称略)

 本作『ウルトラマンA』は、鮮やかな光学合成と、東宝撮影所のステージを使った雄大な特撮シーンの作品として評価が高い。そういった本作の特撮映像は、いかなるものだったのか。限られた紙面ではその全てを語り尽くすことはできないが、『A』特撮の、特に印象的なポイントについて分析してみよう。

*光と闇と気泡と…
 『A』は、ウルトラシリーズ中もっとも派手に光学合成が使われた作品といわれている。これは、メインの特撮監督が合成の演出の得意な佐川和夫であることが大きい(注1)。ウルトラシリーズにおいて、メインの特撮監督はタイトル(注2)やオープニング、メカの発進シーンをも演出することになるため、番組の映像的なイメージメーカーとなる極めて重要なポジションのスタッフだ。
 本作のタイトル映像は、作品の巻頭ながら佐川の特撮監督としての資質を集大成させたような見事な仕上がりである。ウルトラシリーズのタイトルでは、やはり初期ウルトラの『ウルトラQ』や『セブン』の後半のもののような、絵の具にタイトルロゴを描いて、それを逆回転させるものが有名ではあるが、これらのタイトル映像は実に原始的なトリック撮影の原理による、いかにも手づくりの素朴さといった魅力こそあるものの、やはり今日的視点でみるといささか古めかしいイメージである感は否めない。しかし佐川によるこの『A』のタイトル映像は今日的に見ても古くささを感じないものだ。全くのアナログ技術でこのタイトルが撮られたということは、ひょっとしたら後の世代の特撮ファンが見たら信じられないと言うかもしれない。『A』以降の第二期ウルトラ(『タロウ』『レオ』)のタイトル映像も光学合成が多用され、いづれも今日的に見て古臭さを感じない秀逸な映像に仕上がっている。
 『A』のタイトル映像は水中の気泡をスローモーション撮影して様々に加工、着色し、それを何重にも合成したものである。高速度撮影した水中の気泡を、オプチカル処理で着色加工して光りの粒にみたてて神秘的な映像を作り出している。真っ暗闇から光りの粒が画面をゆっくりと覆っていくというコンテのセンスと、それを表現するために、水中の気泡という本来光りの粒とは到底結び付かない意外なものを使用するという着想に佐川の卓越したアイデアを感じる。このように、日常の何気ないものを特撮映像を作る素材として使用するアイデアに佐川はすぐれており、『A』の13話『銀河に散った五つの星』ではこの水中の気泡を宇宙空間におけるゴルゴダ星の爆発として使用し、このカットも佐川のアイデアマン振りを伺わせた。
 『ウルトラマンティガ』のタイトル映像は、佐川の演出によるものではないが、ロゴの背景に青く着色された気泡を使っていたり、ロゴ自体もCGによる金属的な立体文字であることがら、あたかも『A』のオープニングをデジタル技術でリメイクした感のあるものだ。このことは佐川の演出が他の特撮監督にも強い影響を残した部分である。

*光学合成の意義
 佐川の行なった本作の映像演出で、先のタイトル映像と並んで強烈なインパクトと高い完成度を持っている光学合成のカットは、第3話「燃えろ!超獣地獄」から使用されるようになった超獣出現シーンにおける“空が割れる”カットだろう。このカットは、空という本来平面でないものがガラスの様に割れてしまうというシュールなイメージに圧倒される。また、異次元人ヤプールの描写にも、光学合成が生かされ、このヤプールのカットは、三角頭巾をかぶったような姿のヤプールがメカだらけの彼らの作戦室にたたずむ様子を、光学合成の技術で人工的にサイケデリックな色彩に着色するという手法で作られた。もちろん異次元空間を実際に見た人間は誰もいないので、この特撮がリアルであるかどうかは判断がつきかねるが、このカットは非常にそれらしくできあがっている。合成の技術によって、いままで誰も見たことのない異次元の世界を、佐川はテレビを通してお茶の間にいとも簡単に写してみせたのだ(しかもアナログの特撮技術で、である)。これらのカットも、今日的に見ても古くささを感じさせないハイセンスなイマジネーションを感じる完成度の高い光学合成のカットだ。
 『A』の光学合成といえば、やはりA自身の光線技にも、従来より凝った合成効果が使われた点も特筆したい。それまでのウルトラにとって、合成はいわばミニチュア特撮で表現しきれないものを補完するつけ足しといった扱いであり、それゆえ『A』以前の作品におけるウルトラマン達の光線技は地味で、白い無着色の光線か、色が付いていたとしても精々若干青みがかっているといった程度だった。しかし、Aの光線技は前述のように佐川が合成の好きな監督だったことから光線の合成自体が一つの特撮の見せ場を形成しているといえるほどに鮮烈なものが多い。特にAの必殺光線メタリユム光線は、それまでのウルトラマンたちの光線に色がついていないことをまるで挑発しているが如く、派手な七色の色が付けられた鮮やかなものだった。

*ミニチュア特撮の充実
 佐川の特撮は、メカの特撮にも定評があり、本作のTACのメカの発進シーンは、そんな佐川の資質が表われている。そのなかでもタックファルコンの発進シーンにおける、富士山のふもとの牧場にカモフラージュされたカタパルトが展開するカットは高いインパクトを誇る。このカットはカタパルトに展開する前の牧場のミニチュアに、まったく継ぎ目が見えないことから、後にそれが複雑に展開してカタパルトになるということが予測できず、それゆえ高いインパクトを持っている。この発進シーンは、『セブン』のウルトラホーク1号の二子山が割れる発進シーンのバリエーション的なアイデアだが、タックファルコンの発進シーンの牧場はホーク1号の発進シーンの二子山より複雑に展開することから、アイデア的にも技術的にもより進歩したものであるといえるだろう。
 また、『ウルトラマンA』の特撮は、ウルトラシリーズの中でも、特に市街地の建造物のミニチュアが精巧になってくる時期で、とくに作品の後半のミニチュア特撮は、ローアングルで撮ることが多くなり、テレビの特撮としてはかなりクオリティーが高い。初期ウルトラの場合、予算があってもその予算を有効に活用するノウハウがスタッフに身についていないようで(注3)、できあがった映像はそれほど現在の視点で見ると予算がかかっているようにはみえない。セットはあまり広くないようだし、特撮セットの並べられている建造物のミニチュアも、数が少なく出来も大味である。カメラアングルも、特撮ステージ内での実際の人間の目の高さで撮った高めのアングルが多い。また、展開上、山奥に怪獣が出現することが多く市街地を怪獣が襲撃するシーンは意外と少ないため、都市破壊特撮によるカタルシスを味わえる作品は少ない。照明も『A』や『タロウ』の特撮に比べ薄暗いようだ。

 しかし、『A』の特撮は、市街地が舞台になることが多く、セットも東宝のステージで撮っているので、非常にスケール感がある。『A』の特撮セットはホリゾントに描かれた雲が写真のようにリアルな点も評価したい。また第2期ウルトラのこの時期の作品は、同時制作の特撮ヒーロー作品の増加からか、建造物のミニチュアを他の作品から拝借することができたようだ。さらに前作『帰ってきたウルトラマン』のときのストックも大量にあると考えられる。そのため、この時期のウルトラは豪華に建造物のミニチュアを特撮セットに装飾できたようで、特撮ステージは建造物のミニチュアが初期ウルトラより並べられている数が多く豪華な場合が多かった。この具体例としては、第50話「東京大混乱!狂った信号」における市街地のセットが挙げられる。この回のセットは、シリーズ末期でありながら、実に多くの建造物のミニチュアが画面上で確認できる。建造物のミニチュアが精巧な造りになっていくのも、特撮美術スタッフが経験を積んだことにより熟練してきた為だろう。同時制作の特撮ヒーロー作品の増加やウルトラシリーズの長期継続が、『A』の特撮にはプラスに働いたといえる。こういった状況は、さしずめ“量は質を生む”“継続は力なり”といったところか。
 特撮=特殊撮影とは、作品を表現するための手段であるが、ウルトラシリーズにおいてはシリーズを重ねるごとにこの図式が逆転してしまい、特撮をやるために作品を作る、という本末転倒な状況を生んでいる。それは『ウルトラセブン』からはじまったといえるだろう。『セブン』においては、多くの敵の侵略宇宙人が、ストーリー上巨大化する必要がなくても、何故か巨大化してセブンと戦う話が多く、これは「ウルトラはミニチュア特撮をやらなくてはいけない」という惰性的な慣習がスタッフに生じていることを物語っている。
 この『セブン』におけるミニチュア特撮の慣習化は、シリーズを重ねるごとにミニチュア特撮をやるために作品を作る、という本末転倒な状況がウルトラに起こっていることを象徴しており、この傾向は多かれ少なかれ後のウルトラマンシリーズ全てに引き継がれていった感がある。だがその反面、ウルトラシリーズにおけるミニチュア特撮の慣習化には、特撮スタッフの経験値を高め、出来上がるミニチュア特撮自体のクオリティがシリーズごとに高くなっていくというプラス面もあった。『A』のミニチュア特撮の充実は、そういったミニチュア特撮の慣習化によってもたらされたポジティブな点を象徴した好例である。
 『A』の建造物のミニチュアが精巧なことを示す代表的なものとして、第31話「セブンからエースの手に」の超獣バクタリが、物語の中盤で暴れるシーンでの、下町の雑然とした町並のミニチュアセットがある。これは、つまらない民家が並んでいるわけではなく電柱の巻き看板やベランダの洗濯物までちゃんと作り込んでいる精巧なものである。ここまで作り込んだミニチュアセットは、それまでのウルトラには見られなかったものだ。しかもこのシーンはローアングルで撮っているため演出的にも巨大感がある。
 前述の『A』第50話においても、ひとつの話で4つのビルが全壊されている。以前のウルトラと比較しても、初代『ウルトラマン』第11話「宇宙から来た暴れん坊」の回では全壊しているビルの数は3つと、この『A』50話より少なく、さらに『セブン』の第34話「蒸発都市」においても、ビル街が舞台でありながら全壊しているビルのミニチュアの数は3つで、やはり『A』50話より少ないのである。

*異才、田淵吉男
 『A』の特撮監督で、佐川の他に筆者が注目したいのは、とにかく個性的でユニークな演出を行ない、ほかの特撮監督と一線を画している田淵吉男である。田淵の特撮は、ウルトラマンと超獣の戦いにスポーツやチャンバラの要素などを取り入れるといった遊びがあり、この要素は『A』の翌年に田淵が参加した『流星人間ゾーン』(注4)にも引き継がれる。この田淵のユニークな演出は、あたかも制作者側自身が、怪獣とウルトラマンの戦いを自虐的にセルフパロディーにしたかのようなシュールなものだ。
 そんな田淵演出の代表的なものは、シリーズ後期の異色傑作、第48話「ベロクロンの復讐」におけるAとベロクロンの闘いである。この回、Aと超獣は相撲をやって戦い、しかもAがシコを踏むシーンになると、突然この時期の博覧会などの展示映像に多く見られた9分割のマルチ画面になる。この場合、この田淵の悪ノリ演出は不条理な本編のドラマとの相乗効果をもたらし、かえって不条理な作品イメージを高めるといった意外な効果を生んだ。
 この回の脚本には、ベロクロンとAが相撲をするという描写は描かれておらず、また『A』におけるこういったお遊び的演出は、決まって田淵の担当回で行われていることから、これらのお遊びは田淵のアイデアによる現場でのアドリブ的な演出のようだ。
 第10話「決戦!エース対郷秀樹」におけるザイゴンとの闘牛を模した戦いも田淵の演出である。闘牛をまねたウルトラマンと怪獣の戦いは、過去に初代ウルトラマンのジラースとの戦い(注5)が有名であるが、この『A』のザイゴンとの戦いは、ビルの赤い旗をAが巨大化させ闘牛の際に使われる赤い布に変形させてザイゴンを興奮させるという演出まで行なわれており、初代マンとジラースの戦いより徹底していて清々しい。
 また、第46話「タイムマシンを乗り越えろ!」で田淵は、ダイダラボーシとAとの戦いにチャンバラの要素を取り入れるといった演出を行なった。こういった演出は、実は初期ウルトラにもいくつか見られ、前述の初代マンとジラースの戦いのほかに『セブン』のバド星人との戦い(注6)におけるプロレスごっこなどがあるが、田淵の演出はこれらをさらにラディカルにエスカレートさせた悪ノリ指数の高いもので筆者は気に入っている。ウルトラシリーズで田淵が参加しているのは『A』だけであり、こういった田淵演出は本作の一つの目玉である。
 第49話「空飛ぶクラゲ」のアクエリウスとの戦いも田淵の演出である。この49話は、侵略者アクエリウスが村に現われ、自分の操る超獣ユニバーラゲスを村人に神と信じ込ませ、村人にTACを悪魔と思い込ませて襲わせるという作品で、宗教が人間の倫理感を時に逆転させてしまうこともある、という宗教のダークサイドな面を描いた、まるでオウム真理教の事件を先取りしたかのような異色作である。この回では宗教がテーマの本編のストーリーにあわせて、アクエリウスを倒した後、Aが土まんじゅうでアクエリウスの墓を作り、これにAが合掌するというカットが撮られている。これも田淵の悪ノリしたセンスが冴えたブラックユーモア的な演出で面白く、本作の田淵の演出で筆者が最も気に入っているものだ。
 田淵のこういった演出は後の『流星人間ゾーン』において頂点を極める。特に、第19話「命令『Kスイ星で地球をこわせ』」での怪獣ガンダーギラスとゾーンファイターが輪投げゲームで勝敗を決めるという戦い(注7)は、『キカイダー01』(注8)におけるワルダーとビジンダーの文通に匹敵する、特撮史上に残る珍場面ではなかろうか。この輪投げは、先の『A』の48話と同じく脚本には書かれていないものであることが後年確認されている(注9)。しかし、こういったお遊びをいれつつも、田淵の演出はカメラアングルの作り方が実は意外と堅実で、ヒーローと怪獣の戦いを捉えるカメラ割りはあくまでローアングルにこだわり、怪獣やヒーローの巨大感とリアリティーを重視した演出をおこなっている点も評価に値する。この田淵演出のリアリズムは、『日本沈没』のテレビ版(注10)の特撮演出において特に発揮された。

*ウルトラ特撮の完成
 また、前述の佐川や田淵以外の特撮監督も堅実で魅力的な特撮演出をみせた点も評価したい。第5話「大蟻超獣対ウルトラ兄弟」などを担当した大平隆は、魚眼レンズを多用した演出を行い、特にこの5話の超獣アリブンタが地下鉄を襲撃するシーンでは、被写体のパースを強調する魚眼レンズの特性により、超獣に大変巨大感があった。また、初期ウルトラよりウルトラに参加している高野宏一は本作にも参加し、ヤプールが全滅する第23話「逆転!ゾフィ只今参上」で高野は、佐川とは異なるイメージで異次元空間を表現し、それぞれの特撮監督の個性の違いが垣間見れて興味深い。本作の高野特撮といえば最終回「明日のエースは君だ!」のラストシーンにおける、夕焼け空にたたずむAのカットの美しさも忘れがたい。
 以上、ウルトラマンAの特撮映像について言及した。本作は昭和ウルトラ史上もっとも光学合成が印象的に使われたシリーズである。また特に後半のミニチュア特撮の出来は、これにデジタル処理をくわえたら十分に平成ウルトラの特撮のクオリティーに匹敵するものでは、と思う。いわば、アナログ技術によるウルトラシリーズの特撮は、本作において完成されたといっても過言ではない。本作はウルトラシリーズの特撮技術の進歩においてシリーズ史上極めて重要な作品である。〈了〉


注1
佐川和夫は、長年円谷作品に関わり続けたベテラン特撮監督で、現在も最新作『ウルトラマンガイア』のメイン特撮監督を務めたという名監督である。佐川は、平成ウルトラシリーズにおいて、特撮のデジタル化にもすんなり対応し、若手の特撮監督もあわや、とおもわせる新鮮な演出センスを見せた。

注2
この文章では、主題歌の前に流れる20秒ほどのタイトルロゴが現われる映像を指す。

注3
昭和46年『帰ってきたウルトラマン』放送直前の時期に円谷プロで企画された『戦え!ウルトラセブン』なるNG番組(『ウルトラセブン』の続編を製作、放送するという企画)の企画書には、ウルトラシリーズの製作にかかる制作費は、製作上のムダを除けば以前ほど高額にはならない、という意味の記述があり、この企画書のこういった記述は、初期ウルトラの製作時に試行錯誤による製作予算のむだづかいがあったことを伺わせる。

注4
東宝特殊技術課の後進である東宝映像株式会社が、自社で制作したウルトラマンシリーズの影響の色濃い特撮テレビシリーズ。ウルトラマンに酷似したヒーロー、ゾーンファイターの怪獣軍団との戦いを描く。制作に当たってウルトラシリーズやゴジラシリーズに参加したスタッフが多数集結し、そのなかには第1作の『ゴジラ』を演出した本多猪四郎も名を連ねている。1973年、日本テレビ系放映。

注5
第10話「謎の恐竜基地」より

注6
第19話「プロジェクト・ブルー」より

注7
この戦いは、ゾーンファイターと怪獣が、木を引っこ抜いて丸めて輪をつくり、枝を削いだ大木にそれを投げ入れるというもの。この『ゾーン』第19話で興味深いのは本編の監督が御大本多猪四郎である点。『ゾーン』で田淵は、本多と組む事が多く、さしづめ「本多、田淵コンビ」と言えるラインができ上がっている。ちなみにこの回はストーリーも、巨大彗星が地球に接近するという、本多の監督作『妖星ゴラス』(1962年、東宝)を思わせるもので、怪獣(『恐獣』とこの作品では呼称される)ガンダーギラスのデザインも、『妖星ゴラス』に登場した怪獣マグマを意識したと思われるセイウチ型のデザインだった。

注8
石ノ森章太郎原作の特撮ヒーロー番組。1973年、NET(現、テレビ朝日)系放映。この作品のシリーズ後半の作品で、女性のヒーロー・ビジンダーが敵怪人のワルダーと文通してしまうというユニークな作品がある。なつかしのテレビ番組を扱ったバラエティー番組でも時々取り上げられるので、『01』を見ていなくても、このシーンだけ見たことがあるという方も多いのではないだろうか。

注9
『流星人間ゾーン』のLD・BOXのライナーノートより。

注10
1973年公開され大ヒットし、社会現象にもなった小松左京原作のSF大作映画『日本沈没』(監督、森谷司郎)のヒットにあやかり東宝が制作した連続テレビ映画。全26回。この作品は1話から初期数本の特撮を田淵が担当した。そしてこの作品のプロデューサーは『ウルトラマンA』とも縁が深い橋本洋二。『A』の制作スタッフも多数参加している。1974年、TBS系放映。

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