脚本家、阿井文瓶氏からのお手紙

『ウルトラマンタロウ』『ウルトラマンレオ』で健筆をふるった脚本家、阿井文瓶氏。氏はウルトラシリーズの他に『刑事犬カール』(77年)『コメットさん(新)』(78年)などのブラザーアワー作品で重厚な人間ドラマの脚本を書き続け、『特捜最前線』(77年)ではレギュラー刑事の殉職編や海外ロケ編などを手がけ長坂秀佳氏(最近は『弟切草』など、ゲームソフトの原作で有名)とメインライターの座を争った実力派のライターとなる。氏が脚本家として一本立ちしたきっかけを作ったのは、この第二期ウルトラシリーズなのである。(『ブラザーアワー』とは、TBSの月曜7:00〜7:30の枠1967年から79年までの放送枠。『コメットさん』『刑事くん』など30分の子供向けテレビ作品を放送した。)

 また、阿井文瓶氏は1980年に小説現代新人賞を受賞。以降テレビの脚本の仕事と平行して、“阿井渉介”のペンネームでミステリー小説や現代アクション小説をいくつか執筆している(阿井文瓶氏は『刑事犬カール』の初期作品で阿井洋平なる名前でスタッフロールにクレジットされているが、これはペンネームではなく単なる誤植だそうだ・笑)。そのなかの作品の一つに『汝が崇めたるを焼け』という作品がある(講談社ノベルス・1995年)。この作品はエリート警察官、暁が“出課”という興信所でアルバイトをすることになり、そこで暴力団組長の依頼で猟奇殺人事件の調査をするという現代アクション小説だ。この作品のあとがきには、次のような一節がある。
「作者が主人公の年齢(26歳)のころ、嘆きといえば闘いがなかったことだった。闘いがなければHEROは生まれない。こんな時代に恋をする男は不幸だ、と思っていた。」
 この一節は、暗に阿井氏が全共闘の時代に乗り遅れた世代であることを言わんとしているのだろう(筆者自身は、特に戦いな無くてはだめ、ということはないが…こういったことはこの世代特有のものなのか…)。この一節は、氏のなかのヒーロー像を知る上で大変興味ぶかい。ここでいう『HERO』というのが、やはりウルトラマンを書く上でも投影されているのか。
 阿井氏は1941年生まれ。世代的には阿井氏は60年安保と70年安保の間の世代だったので、全共闘の時代に乗り遅れた世代だろう。以前阿井氏は、『新・ウルトラマン大全集』(講談社)のインタビューにおいて『タロウ』の脚本を書くにあたりウルトラマンに安保闘争の反体制テロリストの姿をダブらせていたと語っていた。

 さて、長い前置きはさておき、これから紹介するのは、筆者の友人の同人ライター、ビッキーHONMA氏が数年前に阿井文瓶氏にファンレターを書いた際の、本人直筆の手紙の返事である。この手紙は本来ビッキーHONMA氏が製作する同人誌への掲載を前提に書いて頂いた返事であったが、訳あってその同人誌の企画自体が中止になったため、ここに掲載されることになったものである(ただし、少部数のコピー誌で、一度掲載されたことがある)。阿井文瓶氏のウルトラシリーズに関するインタビュー記事というものは、商業誌に掲載されることが少ないことからも、この手紙は貴重なものである。


拝復

返事が遅くなってすみません。

 ウルトラマンを書いていたのは、もう二十年も前で、当時のことも忘れかかっている昨今ですが、ありがたいお手紙でいくつかのことを断片的に思い出しました。

 どういう同人誌をお作りになるのかわかりませんが、そして私の回答がどうお役に立つのかわかりませんが、そういう思い出の断片を記してみようと思います。

『ウルトラマンタロウ』『ぼくにも怪獣は退治できる〈注/26話〉』というのがテレビドラマへのデビュー作です。

 それまでは田舎で数年間家具商をやっていました。

 しかし、なんとなく不満で、学生時代に面識があった石堂淑朗氏のところに転がりこみ、原稿の浄書とか口述筆記の手伝いをしていました。

〈注/石堂淑朗氏は著名な脚本家であり、第二期ウルトラでは多くの本数を手掛けた。氏は東大出身で松竹ヌーベルバーグと呼ばれた映画監督、吉田喜重氏とはその頃からの友人であり、石堂淑朗氏と吉田喜重氏は松竹に同期入社。以降石堂氏は吉田喜重氏の監督作品や、吉田喜重氏と共に松竹ヌーベルバーグと呼ばれた大島渚氏の監督作品の脚本を執筆し、いくつかの映画賞も受賞している。
 石堂氏は『太陽の墓場』で第12回シナリオ賞(60年)『非行少女』で第15回シナリオ賞(63年)『無常』で昭和45年度年間代表シナリオ賞、『暗室』で昭和58年度年間代表シナリオ賞、『黒い雨』で平成元年度年間代表シナリオ賞、第34回アジア太平洋映画祭脚本賞(89年)、第12回日本アカデミー賞脚本賞(91年)などの蒼々たる受賞歴をもつ。現在、氏は日本シナリオ作家協会理事、近畿大学文芸学部教授の要職にある。〉

 シナリオというものを、石堂氏のところに行くまで、一度も読んだことがありませんでした。

 ただ一応文学部出だったし読書量も比較的多かったので、誤字脱字のない原稿が書けるということで多少重宝がられたようです。
 とはいえ、機会があって、一本シナリオを書いてみろと言われて書いたものは、伊丹万作の作品集を手本に書いたために「これはシナリオではない、監督の作るコンテだ」ということになりました。
 もちろん没です。
 シナリオを書きたい、という気持を石堂氏に言うと、氏も松竹の助監督あがりだったからでしょう、まず現場を経験したほうがいいだろうと、紹介されたのが円谷プロのウルトラマンの製作現場でした。
『ウルトラマンA』の現場で、もっぱら煙草の吸殻を拾いながら、テレビ映画の作り方を見学しました。

 山際(永三)、真船(禎)という、あとになって大変すぐれた監督だと知ることとなる二人に、つきました。

〈注/山際永三氏のプロフィールは、このページの『作品研究1』の文中にあります。真船禎氏はTBSヌーベルバーグ の異名をもつ異色演出家。氏はTBS演出部出身の演出家で『24時間テレビ/黒い雨 姪の結婚』(83年)というドラマで、プラハゴールデンテレビフェスティバル記者賞、観客賞、第21回ギャラクシー賞作品賞、ATP個人演出賞を受賞した実績を持つ。他に『市川崑劇場』『バンパイア』なども演出〉

 アプラサールという怪獣のでる話だったか、その前後の話だったか、多摩川台公園というところでロケをしました。広々としたグラウンドにローソクを何百本もともして、撮影をしておりました。

〈注/これは氏の記憶違いで、本当は超獣マザリュウスの登場する24話『見よ!真夜中の大変身』(脚本,平野一夫・真船禎)の話。これは、異次元人マザロン人によって超獣マザリュウスを身ごもった女性が、マザリュウスを生む儀式を行なうシーンでの、彼女の回りにローソクが何百本も立っているという幻想的な演出の撮影である。このシーンは完成作品を見ていても圧倒されるシークエンスだが、現場で実際にこれを見たらより壮観だったことだろう。前述の『新・ウルトラマン大全集』(講談社)の阿井氏のインタビューによれば、真船監督は大変に感の鋭い人で、対照的に山際永三氏は理論的な監督だったという。〉

 そのとき、わたしが西の夕焼け空に、むくどりの大群が舞い上がったのを見て、アッ、監督と教えました。
 真船監督もオッと声を出し、すぐカメラマンにその風景を撮らせました。
 作品ができ上がってみると、その場面は怪獣出現の予感を描いた見事なシーンになっていました。
 あとは撮影現場では、弁当が必ず五、六人分余って勿体無いことに捨てられてしまうのだ、という知識を得たくらいで、現場を離れました。
 そして、石堂氏の原稿を届けに行って面識のできていた熊谷健プロデューサーが、「一本書いてみない?」と誘ってくれたのを機会に、『ぼくにも怪獣は退治できる』を書いたというわけです。

 御存知かと思いますが、テレビ映画の場合は、製作会社のプロデューサーと共にテレビ局のプロデューサーが関わります。ウルトラマンの場合は、TBSの映画部、橋本洋二氏が、この地位におられました。
 橋本氏は名プロデューサーとして名の高い方で、以後この方の指導によって、わたくしは次々とTBSの番組のシナリオを書くことになります。
 しかし、はじめに申し上げたとおり、記憶は薄らぎ、お話できるようなエピソードは浮かんで来ません。
 先日、講談社から電話が掛かり、ウルトラマンについての本を出すのだということで、インタビューを受けました〈注/前述の『新・ウルトラマン大全集』(講談社)のインタビュー〉


 そのときも、ここに書いたようなことを話したのですが、その本ができたら、あなたの所に送るよう頼んでおきます。

 最近は阿井渉介というペンネームで講談社ノベルズでミステリーを書いています。

 少々多忙でしたので、お返事が遅れ申しわけありませんでした。

阿井文瓶

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